移民家族の貢献 4
カリェ・オーチョ通りのウルトラ・レコードが繁盛して、ピネロは新しいショッピング・センターにもう1軒店を出す計画をたてていました。
ヴァルスはしだいにレストラン用品のセールスマンでは物足りなくなって、スペインからエスプレッソの機械の輸入を始めようとボスの説得にかかっていました。
急速に増えているキューバ人のコーヒーへの渇望を癒そうというのです。
しかし、手入れが面倒なこの機械は厄介なしろものだとボスは考えました。
そして冷蔵庫、皿洗い機、ステンレス製レンジその他のもっと大型で単純な仕入れ品にこれを加えることを拒否しました。
在庫管理の上からもその方がいいと思っていました。
そこでヴァルスは友人から〈高利〉で借金をすると、自分でエスプレッソ機械の輸入を始めました。
1台300ドルで買入れて千2百ドルで売り、ほどなく借金を返済することができたのです。
彼は機械の据付けと点検修理をするゴメッツという職工を雇い入れ、ノース・マイアミ・アベニューに店を借りてインターナショナル・イクイップメント・コーポレーションという会社を作りました。
再び借金、2番抵当権、そして少ない支払いなどでやりくりして、マイアミ南西部の1万7500ドルの家に家族を移しました。
その家には1982年まで住むことになります。