『外国語之研究』
こんにちは。今日もチェストツリーのお陰で元気いっぱいです。
内村鑑三の『外国語之研究』(明治32年)はおもしろい本です。
当時、勉強方法はまだありませんでした。
以下、『外国語之研究』を少し引用してその勉強法などを見てみましょう。
・・・原意を誤たず日本語に翻訳するは実に至難の業なりとす。
そは欧州語と日本語とは全くその原質を異にし、語字の構造、文句の組織に至るまで悉くその趣きを異にすればなり。
風俗を異にし、宗教を異にし、人生観を異にする彼我の間に介して彼の意を我に伝え、我の実を彼に移すの困難はこの業に従肇せし者のみ、よく熟知するを得るなり。
英語のホームを家庭と訳して僅かに原意の半を写すにたるのみ。
ゼントルマンは紳士にもあらず、君子にもあらず、ゼントルマンはゼントルマンにして、これを我が邦人に伝うるの訳語あるなし。
・・・紳士は我にありては盛装する者の称にして、白痴も華族の列に加われば紳士なり。
盗賊も事業に成功すれば紳商なり。
ゼントルマンなる英語の道徳的宏旦と常識的風采とを備うるの意を通ずザ49に最も不完全なる訳語なりとす。
・・・我の「切腹」は名を重んじ命を軽んずるの行為なれども、彼の訳字なるは失意・失恋者の絶望的自殺を意味す。
彼の語を我に伝うるの語なきと同時に、また我の「孝」を完全に言い表わすの語彼にあるなし。
忠臣蔵を英訳して英人はその真意の那辺に存するかを知るに苦しむ。
復警は我にありては徳にして彼にありては罪なり。
彼我思想の隔絶実にかくの如し。
故に宏量ならんと欲せば、外国人の思想をその最善最美の点において採らんと欲せば、吾人は外国語の深き精しぎ研究を要す。
これを約言すれば、彼の語を知らざるは彼を知らざることなり・・・。